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弥生文化の発信基地 奈良県磯城郡田原本町からのご案内 田原本町は奈良県の北西部に位置し、北西は三宅町、北東は天理市、南東は桜井市、南は橿原市、西は広陵町にそれぞれ境を接しています。
町域は奈良盆地の中央部を占め、町の西部を曽我川・飛鳥川が、中央部を寺川が、東部を大和川がそれぞれ北流しています。 町はその名の通り大和の穀倉地帯の中心地で稲作が盛んでしたが、今日では地理的条件を生かした都市近郊型農業へと変わっています。
交流基盤としての道路交通網は、町の中央部を国道24号と、西部を京奈和自動車道大和区間が縦断し、北西部から南東部へ県道桜井田原本王寺線が走っています。また鉄道交通網は、近鉄橿原線が国道24号の西部を並行しており、さらに田原本駅に隣接する西田原本駅を起終点として近鉄田原本線が町の北西部を走っています。こうした交通網の整備により、京阪神からのアクセスが飛躍的に便利になってきています。
また、歴史の国”大和“の中でも最も早くから開けたところであり、特に弥生時代を代表する唐古・鍵遺跡は、平成十一年に国の史跡に指定されました。現在、遺跡のシンボルとして楼閣が復元され、この周辺に広がる大和平野は”大和には 群山あれどとりよろふ 天の香久山 登り立ち国見をすれば国原は 煙立ち立つ海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は“という舒明天皇の歌をほうふつさせることができます。
町の繁栄は、慶長年間に町の周囲に堀と土塁をめぐらした寺内町が形成され、この寺内町に五千石をもってこの地を領した平野長勝が陣屋を設けて以来のことです。当時、田原本町は町域を流れる寺川が大和川に合流するのを利用しての水運による商業活動が活発で、さらに奈良と今井町(橿原市)を結ぶ中街道の宿場町であり、『大和の大坂』と呼ばれる賑わいを見せていました。
明治中期には、盆地の周囲に鉄道が敷設されたため商業機能が衰退しましたが、大正期に入って以来、近鉄橿原線・田原本線が開通して再び活気を見るようになりました。
そして、昭和三十一年九月三十日、多村・川東村・平野村・都村・田原本町の五ヵ町村の合併で田原本町が誕生しました。

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